今のこの時代に、有名人が書く「サイン」は何の意味や価値があるのか考察してみる

昔からの慣習で、ファンを抱える有名人であれば自らのサインを持っていることが多く、

それは、ほとんどの国民が持っている携帯電話に、高性能カメラがついている今現在でも

「サイン」をするという文化は、未だに続いているようです。

しかし私はこの「サイン」というものは、このご時世、本当に必要なの?

需要はあるの? と常々思っていたので、

今一度、「サイン」というものの存在について、考察してみたいと思いました!

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本当に本人が書いたものか分からない

本人が自分の目の前で書いてくれたものでも、第三者からしてみたら

「本物のサイン」なんて見分けようがありません。

その構造を利用して、普通にテレビとかでも

例えば私が覚えているのは「古畑任三郎」という番組で、イチローさんが出演の回に

マネージャーが普通に、担当芸能人のサインを代筆するみたいなシーンをやっていたり

あるいはヤフオクなんかでも、悪い出品者が自分で「偽サイン」を書いて、

高値で販売したりして、詐欺で逮捕されるなんてニュースも調べればたくさん出てきます。

「有名人のサイン」というのは、それくらい怪しく、何の証明性もないものであるのに、

どうして「本人が書いたものなのか分からないサイン」でも、欲しがるのでしょうか?

私は常々疑問に思っていました。

昔は携帯電話にカメラ機能等もなく、サインは有名人に会ったという証でもあった

確かに一昔前までは、「サイン」というものに一定の価値があったのかと思います。

テレビが王様だった時代では、学校や職場では、テレビの話題は当たり前

つまり「全員が同じような情報だけを共有していた」時代でもありました。

そして「サインをもらう」という行為は、あの有名人との唯一と言っていいほどの

コミュニケーションの場でもあり、

それと同時に「あの〇〇からサインもらった」「すげーマジかよ」という

サインをしてもらうというものが、一種のステイタスのような時代でもあったかと思います

ところが時代が大幅に進んだ、現在ではどうでしょうか?

サインというものはほとんど意味を失いつつあるように、私は思います。

本当に本人が書いたサインだとして、当人にはどういう価値があるか

SNS等の普及により、コミュニケーションの方法も多岐にわたるようになり、

有名人とファンの関係性は時代と共に、より身近なものになっていると思われます。

別にサイン等してもらわなくとも、現在ではほとんどの人が持っている携帯に

高画質のカメラ+アルバムが内蔵されているので、一緒に写真を撮ることができ、

大半の人はこの2ショットの写真をもって、人に自慢してみたりすることでしょう。

「握手」も、あの憧れの人と触れあえた という喜びを感じることが出来ます。

「サイン」という、グシャグシャっとした謎の文字、本人が書いた証明には何もならず

それならまだ「自分の名前」を「自分の字」で書いてもらった方が、

まだいくらか「欲しい」と思えそうなものですが、

この時代になってくると、ますますあの謎の文字の存在意義が、薄れてしまっているように

私は思えてなりません。

そしてそれは、単なる私個人的な妄想というレベルのお話しではなく、

私は私の事業の関係で、サインの現実の一部を、幾度となく目の当たりにしていることが、

その根拠だったりもします。 それはどういうことなのか、説明していきます。

【サインの現実】例えば本にサインをしてもらっても、数年もすれば、中古屋に売ってしまう

私は約9年程、「せどり業」で生計を立てており、生計を立てるというくらいなので

それなりの冊数の中古本を、今まで取り扱ってきたのですが、

その中には意外と、「サイン入りの中古本」も混じっていたりします。

わたくし、たった1人の個人事業主が見てきた数でも、二桁じゃきかないくらいで、

おそらく三桁に上る冊数だと思います。

最初の頃は「サインしてもらった本でも、結構売りにくる人がいるもんだなぁ」

等と思っていましたが、次第に慣れてきてしまい、サイン入りの中古本を見ても

何とも思わないようになってしまいました 笑

もちろん長いこと大切に保管されている方も、同じようにいらっしゃると思います。

しかしそれは、どちらかと言えばごく一部の人のお話であり、

多くの場合はミーハーであったり、その時は確かにファンであっても、時が経って

興味が薄れてしまい、売ったり捨てたりと処分するケースの方が大半を占める

というのが現実なのかなと思います。

全有名人が書いたサインの総合計数と、現在も大切に保管しているサインの合計数を検証してみたい

どれだけの有名人のサイン色紙が、ごみ箱に放り込まれていったのでしょうか

せっかく「貴方の為に書いてくれた」サイン色紙が

おそらく「全ての有名人」が今までに書いた「サインの総合計枚数」というのは、

もの凄い数になるのかと思われます。

例えばかなり人気がある方であれば、100枚とか200枚とか、一気にサイン色紙に

書いたりするという話も、どこかで何度か見たり聞いたりしたことがあります。

そして、そのサイン色紙は、例えば10年後、20年後

一体どれくらいの枚数が残っているものなのでしょうか?

おそらくほとんど残ってはいないだろう と想像する方が多いのではないでしょうか。

なので私は、有名人の周りの多くの人が詰めかけ「サインください」とねだっている

人達の光景を見ると、少し嫌な気持ちになります。

「この中の何%の人が、10年後もそのサインを大切に持ち続けているのだろうか」

と思うと、少し悲しい気持ちになるからです。

まとめ

私はサインを欲しがる全ての人を否定するわけではありません。

「ただ、あのサインを求める長蛇の列の中に、10年後も大切に保管している人というのは

果たして何%いるのだろうか」

どうせ大切にしない人が大半なんだから、「土下座してでもこの人のサインが欲しいんだ」

くらいの、本当にサインを大切にしようとしている一部の人だけが並び、

有名人の方も、従来の10分の1くらいのファンに対して、心を込めてサインする

こういう素晴らしい関係を築けているのでしたら、私も何も言うことはありません。

あとは「サイン」そのものの存在について、

憧れのあの人に会った ということであれば、今の時代2ショットの写真はいつでも

撮れる準備がありますし、

おそらく多くの人は「サインをもらう意義も考えずに、何となくサインしてもらっている」

という状態なのかなと思います。

もしかしたら、もう今はサインというのは必要なく、携帯のカメラで2ショットの写真を

撮ってもらうという行為があればいいのかもしれません。

それでも「サイン」という文化が残るのだとすれば、

本当にサインが欲しい一部の人だけが、サイン色紙を持ち、書いてもらったサインを

いつまでも大切にする方が1人でも増えること

こういう関係が築けるのであれば、それはとても素敵な事だなと思います。


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