競争化社会において「競争しない」ということも同時に学びたい

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今世間を賑わせている「ポケモンGO」というスマホゲーム

私も最初はやらないつもりでいましたが、

「このゲームって今この瞬間やらないと、後からやろうと思っても絶対面白くないよな」

と、気が変わってダウンロードしてみることにしました。

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ポケモンGOというゲーム

最初はどんなものなのかと近所と駅前を散策。

実際歩いてみるとポケモンが出現したり、家の近くのあのスポットに立ち寄ると

アイテムや経験値がもらえるようになっている。

SNSではポケモンを楽しんでいる声や、ポケモンGOに関する情報がたくさんあり、

徐々にゲーム性を理解。このゲームの面白さに気が付き、

まったりプレイではあるが、今では街を歩くときの1つの楽しみとなっている。

「ポケモンGO」の人気は凄まじいものがある。

私の近所でもポケモンGOをプレイしながら歩いている人がそこら中にいる。

ポケストップと呼ばれる場所や、より広くて集まりやすい公園的な広場だったりすると、

スマホを持った老若男女が大量に集まり、皆ゲームを興じているのだ。

リリースしてまだ間もないのにすでに飽きた人も?

SNSで皆さんのポケモンプレイの呟きなんかを見ていると

ある1つの傾向が浮かび上がってくる。

それは

「競争化社会の荒波の中で生きてきたような人は、ポケモンでも競争するんだな」

ということ。

楽しみ方は人それぞれなので、そのプレイスタイル自体を否定はしない。

ただ驚くべきことに、リリースしてまだ1週間も経っていないのに、

「もう飽きた」という声が少なくないのだ。

私はこのことに強烈な違和感を覚えている。

1週間経たずに飽きるようなゲームを作ったメーカー側が悪いのか?

きっと違うような気がする

彼らにとってポケモンGOとは一体何だったのだろうか。

便利の代償

ちなみに「PokeVision」という どこに行けばどのポケモンが出現するというのが

分かってしまうという、チートのようなサイトがある。

なるほど。これを使えば自分の狙ったポケモンが撮り放題。

これを使わない手はないだろう。

と考えている人が少なくないようだ。

しかし私はこのツールは邪道だと考えている。

「レアなポケモンに偶然遭遇した時の驚き、

逃げられる前にちゃんとゲット出来るかどうかのハラハラ感

見事レアポケモンをゲットした時の喜び」

こういった感情こそがポケモンというゲームの醍醐味だったのではないだろうか。

また、このゲームで重要なプレイヤーのレベルも、課金をすれば簡単に上げられる。

しかし簡単に上がったレベルというのにも、

レベルが上がったことに対する嬉しさはその分少なくなる。

得るものもあれば失うものもあるということに、気づいている人は少ないと感じる。

実生活における悲しい競争

こういった精神は日常生活にも多く見られる

混雑するスーパーのレジ前では、少しでも早くレジが空くところを見計らう

ある種の殺気のようなものを時々感じることがある

たかだか1分や2分レジが早く終わったところで、その時間をいったい

他の何に有効活用できると言うのだろうか

信号が赤になっているのに、ダッシュで横断歩道を渡る人にも同じことが言える

どうせなら多少の損を取ってでも、トータルで見たら得な選択をしたらいいのに

と思うことが多い。

つまり「競争しない」という選択も出来る方が、その選択肢を持っている分

その選択が出来ない人より、視野が広く、様々な物の見方、物事の捉え方が可能になる

とさえ言える。

まとめ

ポケモンGOは色々な楽しみ方がある。RPGのように明確な完結も定められていない。

しかし競争化社会の荒波の中で生きてきた人にとって

「ポケモンGO」とは単なる競争の道具でしかなかったのだろうか。

1週間もしないうちに飽きてしまった人はプレイしていて楽しかったのだろうか。

この考えは「ポケモンGO」だけに限らず、様々な物事に対するアプローチに

通ずるものがあるのではないだろうか。

競争する事、その競争に勝ち抜く力も大切なことだと思うが、

「競争しない」という選択が出来るということも、同じくらい大切だと考えている。

私は2ヶ月・3ヶ月くらいかけて、このゲームをじっくり楽しみたいと思っている

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